先週は暑かった、
あまりにも暑かった、
そんな暑い日には誰もがまともではいれなくなる。
熱帯の森林の中も暑いんだろうけれど、
真夏の都会のアスファルトの上の暑さも、ものすごいものがある。
そんなある日、ぼくも渇いていたし、飢えていた。
渇いて、飢えて、ケダモノと化していた。
ケダモノになった自分は、無性に焼肉が食べたかった。
そう、ぼくは焼肉が大好きです。
毎日毎日焼肉を食べてもかまわない。
不健康になってもかまわない。
焼肉食べたい・・・
焼肉で冷えたビールが飲みたい・・・
そしてその日もどうしても焼肉が食べたかったのです。
あまりにも焼肉が食べたかったので、
まるで幻をこの手につかもうとするかの如く、
頭の中には「やきにく、やきにく、じゅ~っ」のフレーズが、
何度も何度もリフレインしていました。
真夏のやけたアスファルトの上、
体中から汗が噴出し、目がかすみ、頭がフラフラし、
やがては頭の中でだけ鳴り響いていたはずの言葉が、
口の中で祈りにも似たつぶやきとなり繰り返す
「やきにく、やきにく、じゅ~っ、やきにく、やきにく・・・」
砂漠で迷った時、遠くにオアシスの蜃気楼が見えるといいます。
人はそれを見ると狂ったように水を求めて駆け出すそうです。
最後の力を振り絞り、オアシスに向かって走る、走る。
しかしいつまで走れど、オアシスは近くに来ない。
やがてそれが蜃気楼だと気づいた時には
人は力尽きて倒れる。
そのときぼくはまるで砂漠にいるようでした。
太陽が残酷なまでに照りつける。
アスファルトが熱気を乱反射する。素肌が痛い。
汗がとめどもなくあふれ出す、目が充血する。
喉はカラカラに渇き、頭が正常に稼動していない。
不快感はこの上なく高まる。
真夏の日本の大都会は、かくも過酷なものなのです。
そんなとき、道の向こうのほうからぼんやりとあるものが見えてきました。
「ウシ… 」
ウシが見えました。
よく精肉店なんかに行くと、牛肉を部位に分けた図がありますよね。
ウシの断面図を描き、線引きをし、ここが肩ロース、前バラ、
ここがテール、ここがフィレとかに分けたもの。
その図が浮かび上がってきたのです。
最初は半信半疑でした。
不快なアスファルトの上を、歩み続けました。
だんだんウシが近づいてきました。
確かにソレはやって来ているのです。
やがてそれがTシャツの柄であることが分かりました。
誰かがウシの肉の部位わけを描いたTシャツを着て歩いてくる・・・
それを見てぼくは無性にうれしくなりました。
Tシャツの模様に、牛肉の部位分けの図、カッコええなぁ~
世の中には焼肉好きが一杯いるんやなぁ~
そう思いました。
その人とすれ違う時、挨拶とかしたほうがいいのかな?
とりあえずはにっこりと会釈をせなアカンやろうな?
どこに行けばそのシャツ買えますかって聞こうかな?
いきなりそんなこと聞いて失礼やないかな?
でもお互い焼肉好き、気持ちは分かるよな?
そんなことをいろいろと考えました。
真夏のサウナの中を歩いているような不快な気候の中、
ほんの少しだけ涼風が吹き抜けました。
ウシが近づく、ウシのTシャツがどんどんとこっちにやってくる。
ドキドキしました。
ウシに大変な質感さえ感じました。
白いTシャツなのに、質感があるんですね。
その存在感たるや、大変なものでした。
さらにどんどんと歩き続けました。
ともすると、駆け出しそうになりました。
待ちきれずにその人のところに駆け寄り、
にっこり微笑んだらきっと分かってくれる、
お互い焼肉大好き同士なんやもん、
きっと思いは伝わるはず。
でも、やめておこう。
ゆっくりと、ゆっくりと、自然に歩み寄ろう。
セミが五月蝿く鳴いている。
車のクラクションが響く。
道路からは相変わらず熱気が立ち昇る。
汗が止まらない。暑い。暑い。
でも、もういい。
今はゆっくりと歩くんだ・・・
もうすぐだ、もうすぐだ。
あとワンブロックで、すれ違う。
その人の姿がだんだんと大きく見え出した。
やってくる、やってくる、
そして立ち止まる・・・
信号が変わった、
もうすぐだ、もうすぐだ…
いよいよそのときがやってきました。
ウシとの遭遇です。
そしてほとんど正面3メートルにソレがやってきた時、
ぼくの心の中の憧憬は、
ガラガラと音を立てて崩れ落ちました。
ウシじゃなかった。
アメリカ地図でした。
州ごとに線引きしてあるやつ。
マイアミがモモ、
ニューヨーク近辺がテール、
カリフォルニアが前バラ、
ワシントンが肩ロースになるのかな?
ぼくのカラカラに渇いた舌が、口の中に張り付いた。
あたまは一気に朦朧となり、
目の前は瞬時に黄色になりました。
相変わらず太陽はジリジリと暑かった。